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北海道最果て旅行6日目です。

網走の代表的な観光スポット、網走監獄に行きましょう。

●博物館網走監獄
5月〜9月は8:30〜18:00開館、それ以外は9:00〜17:00開館。年中無休、入館料1,080円。
網走刑務所自体は1890年開設の刑務所であり、1983年に古い建物を移築復元するために博物館網走監獄が作られました。開設当時、重罪人が北海道開拓のための労働力として使われていました。公式HPによると、一般人からは重罪人のふきだまりとして、罪人からは北の果ての脱獄できない監獄として恐れられていたといいます。
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鏡橋。川を鏡に見立て、我が身を見つめ自ら襟を正す、という意味がこめられているそうです。
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煉瓦門。網走監獄の正門。
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煉瓦門の扉。
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庁舎。1877年建築、火災により1912年再建、1988年移設。国指定重要文化財。
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キュートな建物ですね。中は売店兼資料館です。受刑者が作った商品が売っているのですが、どういう気持ちで「監獄」「PRISON」の文字が入った商品を作っているのか気になります。
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裏門。受刑者が5年かけて建設し、1919年に完成。受刑者が外の農場や養豚場などに出る時に通りました。
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水門。1924年受刑者により完成。網走川を生活物資や農場への肥料の水路として使っていた時使われました。1956年まで使われ、現在は封鎖されています。
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旧網走刑務所職員官舎(看守長屋)。職員の官舎を再現したもの。
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官舎内部。拝命されたばかりの若い看守向けのせまい官舎。
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旧釧路地方裁判所網走支部法廷復元棟。新庁舎建設のために取り壊されることになり、合議法廷、仮監置室、拘留室問室をゆずり受け復元したものです。机や照明器具、カーテンなどは当時のものとのことです。ここで実刑判決を受けた被告人の多くは網走刑務所に送られました。
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ちなみに冤罪事件として有名な梅田事件が裁かれた場所でもあります。過去に発生した冤罪事件といった暗いけど風化させてはいけない一面もしっかりと取りあげています。
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単独法廷。比較的軽い罪の被告人が裁かれました。1991年まで使われていました。
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合議法的。重大な事件の被告人が裁かれました。
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拘置室。裁判のため拘置所から出廷した被告人のひかえ室。今は仮監置室と呼ばれます。派手めのオバサンが入れられています。
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拘留質問室。証拠隠滅、逃亡の可能性がないか判断するための尋問に使われました。今は勾留質問室と呼ばれます。分かりやすいチンピラ。
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休泊所。中央道路開拓の時に受刑者が自ら建てた動く監獄。
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看守が枕代わりの丸太をたたくと衝撃ですべての受刑者が目を覚まします。
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睡眠時間は4〜5時間ほど。
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食事は弁当箱いっぱいの麦飯と梅干し1個、たくあん3切れ。疲れが取れなそうですね(他人ごと)。
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耕うん庫。農機具や肥料、作物の倉庫。農園刑務所として有名だった網走刑務所を象徴する建物。1896年には21,800アールに及ぶ農地を持ち、このような小屋が10棟建てられたそうです。
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つけもの庫。桶職人の技能を持つ囚人が容器を作ったそうです。受刑者が食べるたくあんがつけられていました。
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監獄歴史館。資料館です。現在の網走刑務所も再現。
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現在の網走刑務所の共同室。6人収容。
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個人用の棚。一人一人個性がありますね。左からサーフィン好きの読書家、社会復帰を目指す勉強家、漫画好きのモルモン教徒(漫画に混じってモルモン書がある)、一番右は情報がなさすぎて逆にちょっと怖いです。新入りなのでまだ私物がないとかなのかもしれません。
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現在の網走刑務所の単独室。
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大阪・西成の安いホテルくらいの広さ。
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食事を差し入れる小さなドアがあります。照明スイッチや放送のオンオフスイッチはすべて廊下側にありますね。
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開拓中の囚人が外を歩く時に使っていた囚人服と編笠。顔を隠すので好奇の目で見られなくする、周りを見にくくして周囲の土地をくわしく覚えにくくする、目立ちやすくする、という目的があります。
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農場。
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二見ヶ岡刑務支所。日本最古の木造刑務所であり国指定重要文化財。1896年に屈斜路外役所として建てられたあと網走湖、能取湖をながめられる位置に移築、さらに博物館網走監獄内に移築されました。
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室長室。
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映画『刑務所の中』が撮影された場所。
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原作者の花輪和一の名があるのは小ネタでしょうか。
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受刑者の食堂。
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食堂で監獄食B(820円)を食べます(通常は来館者用の食堂があるのですがGW中は混雑対策として食べられる場所が移動していました)。受刑者の食べているものを再現したセットです。アルミの盆にプラスチックの皿、大きめに切られた質素なおかず、実際にここで受刑者が食事していたという事実が食欲を減退させます。味はまともですが食べ終えた時になぜか暗い気持ちになりました。
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作業場。野菜、穀物の選別を行なっていました。
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作業所。
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洗濯洗足場。農場でよごれた長靴や足を洗う場所。元は受刑者の身体検査をする検身鍵鎖場として使われていました。
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2階。
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2階小部屋。
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講堂。
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網走監獄二見湖畔神社。1913年に受刑者により建てられた神社。春の種まきから秋の収穫と安全を祈願し、収穫祭が行われていましたが受刑者数減少と宗教的なこともあり収穫祭は行われなくなりました。2001年に現在の位置へ移動。
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高見張。やぐら型の監視所です。 
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登り窯。大量のレンガが焼かれて監獄の建物に使われましたが電気窯の登場で役割を終えました。
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舎房及び中央見張所。国指定重要文化財。1909年に焼失、1912年に再建。1984年まで使われていました。明治時代の名残が残る舎房としては国内最大規模、木造では現存する日本最北端のもの。
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中央見張。
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舎房を一気に見渡せる効率の良い作り。
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格子は斜めになっており、向かいの受刑者は見えないけど廊下の看守からは中が見えるようになっていました。
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美しさすら感じる舎房群。
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独居房。規律違反したり他の受刑者と生活できない受刑者用。
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独居房内部。
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建てられた当初使用されていた薪ストーブを再現。非常に長い範囲を均等に温められます。
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浴場。
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脱衣所。整列して、号令で脱衣しました。
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頻度は1か月に5回ほど、入浴時間は15分(入浴3分、洗体3分、二槽入浴3分、洗顔3分が号令で決められていました)。元は士族出身の軍事犯や政治犯が多かったのですが、時代と共に凶悪犯、ヤクザが増え、それにともないくりからもんもん(刺青のこと)をしている者が出てきた風景を再現しています。
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煉瓦造り独居房。明治末期に作られ、国指定重要文化財に指定されています。規則違反を犯した受刑者は食事量が減らされ一定期間窓がない真っ暗な中ですごしました。
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教誨堂。国指定重要文化財。焼失後1912年に再建されました。僧侶や牧師が訪れ教えを説く宗教的な役割だけでなく、戦後は軽スポーツ、演芸会、映画会が行われ受刑者の唯一の憩いの場となりました。
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教誨堂内部。

鏡橋を渡って門をくぐり、様々な施設をめぐって最後に教誨堂へ行くという、ストーリー性のある見学ルートになっていますね。
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哨舎。外部からの侵入や受刑者の監視のために建てられました。1994年まで網走刑務所で使われていたものを移築したもの。

ゆっくり見ていたので何だかんだ4時間かかりました。サクサク進めば1.5〜2時間くらいでしょうか。

長いので一度切ります。

残り時間で屈斜路湖、摩周湖、阿寒湖、アトサヌプリ、アイヌコタンに行きます。

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